63歳の平賀淳
平賀淳に初めて会ったその印象は、やたらめったら明るくて、やたらめったらよく喋り、やたらめったらおもしろい。とにかく外向的で社交的。僕とは正反対のタイプだと思った。それからUTMFやグレートトラバースなどでたびたび一緒になったが、大人数のスタッフの中に平賀淳がいて、バカっ話をしてみんなを盛り上げる。僕はそんな現場が大好きだったし、そういう現場には平賀淳に会いに行っていたようなものだ。
あれはいつだったか?
ある現場で平賀君が遅れて参加したので、僕がロケ車で駅まで迎えに行った。それが1対1でじっくり話す初めての機会だった。それまではアウトドアのイメージしかなかったが、平賀君は車中で映画論や教育論、果ては文明論まで熱っぽく語りまくった。そこには内省的で知的な平賀淳がおり、彼の本質は案外こっちにあるのではないかと思った。
忘れられない現場がある。2016年のパタゴニアイクスぺディション。僕は平賀君とペアを組んでイーストウインドを追いかけた。途中、パタゴニアの360度なにもない荒野で、真夜中に1時間だけの仮眠を取った。漆黒の闇の中、普段は饒舌にしゃべりまくる平賀君が、この時だけは何も話さずじっと星を見ていた。平賀淳と言えば、僕はこの時の光景ばかりを思い出す。
ここ数年、僕は生涯の相棒と呼べるカメラマンを探していた。自分はフリーランスなので、同じ立場、つまり仕事が無くなれば食っていけない、安住の立場にない、いつだって食うや食わずの局面に立っているフリーランスのカメラマンで相棒が欲しかった。
ある現場で平賀君と一緒になり、ふと見ると彼にも白髪が混じるようになっており、その横顔にやや老いが見えた。だが僕は、それが逆に、肉体が老いていく分、これからは彼の思索的な一面 (あるいは本質) がいよいよ発揮されるのではないかと思った。
そう確信した僕は、 「自分の相棒は平賀淳だ!」 と思い定め、それからたびたび撮影をお願いするようになった。
その中で印象的だったのは、彼は人をつなぐ男だったということ。
僕がお願いした現場はシンプルな撮影で、彼なら十分一人でやれる現場だったが、彼は自分の経費を割いてでも必ず一人若いアシスタントを連れてくるのである。そして僕に紹介してくれる。また、幼馴染みが本を書いたと言っては送ってくれたし、高校の後輩が山を走ると言ってはそれを世に出せないか?繰り返し相談を受けた。僕は番組にはならないと言ったが、彼はそれでもその後輩を自分一人で撮影しに行くという。しかも自腹で。なんでそこまでやんねん?後輩の為に?
僕はそれを確かめたくて、そんな平賀淳を見るために、その現場に行った。彼は自分一人で三脚を担ぎ、自分一人で大粒の汗をかきながら撮影をしていた。僕は車の運転を手伝わせてもらい、その晩河口湖のほとりで月を見ながら二人で酒を飲んだのだが、あの晩は楽しかったなぁ!
また彼は独学の人であった。ある時彼に電話が掛かってきた。放送技術研究所からの電話で、彼は周波数帯がどうとか、干渉がどうとか、僕にはさっぱり分からない話を専門家と丁々発止議論していた。よくわかるねぇ!と聞くと、全部自分で勉強したという。分からないことは専門家に電話して、恥ずかしがらずに一から教えを受けたと。その探求心・向上心も平賀君の魅力だった。
彼から聞いた言葉で、忘れられない言葉がある。
「自分で自分の世界を狭くしてどうするんですか?」 という言葉。
彼は人を毛嫌いせず、どんな人でも受け入れて、どんどん人の輪を広げて、どんどん勉強して、そしてどんどん自分の世界を広げていった。
大いに見習いたいと思う。
彼とは今後の生き方の話もした。彼は自分自身も老いを感じていること。仕事のやり方を変えようと思っていること、これからは本当に自分が撮りたいものを自主的に撮っていくこと、そのモチーフは既に決まっていること。そして家族のこと、建てた家のこと、子供のことなどを話してくれた。
最後に平賀君と会ったのは彼がアラスカに旅立つ四日前だった。都内で撮影を終え、その日車で来ていた彼は 「カメさん、家まで送っていきますよ」 と言ってくれた。車中で平賀君はこう言った。
「自分も43歳です。43歳と言えば植村直己も、星野道夫も、谷口けいちゃんも、43歳で死にました。自分も気をつけないと。。。」
そう言って車を停めると、後ろから急かすようにクラクションを鳴らされたので、じゃ!と言って別れた。
だからそれが本当に、彼との最後の会話となった。
彼が生きてたら、どんなものを撮っていたのか?とても興味がある。
63歳の平賀淳は、一体何を撮っていたのか?
なんと言うか、平賀淳はまだアッチの世界に行ってなくて、中二階あたりでこっちを見ているような気がする。いつもするように、手でアゴの辺りをさすりながら 「なるほど~」 なんて言いながら。一方、同時に、矛盾するようだけれど、アッチの世界に友人が一人いて、僕を待ってくれているような気もする。
だからあんまり寂しくはない。
またいつかどこかで、平賀淳に会いたいし、きっと会えると信じている。
最後に、友人の僧侶が平賀君にくれた言葉をここに載せたい。
「冒険者の魂が生前のスキルによって、輪廻の大海で最後の大冒険を敢行して、より良い転生を果たされますように」
亀川 芳樹
yoshiki kamegawa