じゅんさ~ん!
2011年パタゴニアの密林の中でも、2012年コスタリカのジャングルでも、2014年から足かけ8年、日本百名山ひと筆書き~Great Traverse~、日本2百名山ひと筆書き~Great Traverse2~、そして、日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3~の挑戦でも傍らには真剣な表情でカメラを構える淳さんがいた。一瞬の感動をとらえるために。
2007年大学卒業したのち、チームイーストウインドの門をたたき、アドベンチャーレースの世界へと飛び込んだ。そのときすでに、淳さんはチームには所属してはいなかったが、キャプテン田中正人さんから淳さんの名前を、様々な場面で耳にした。
淳さんとの最初の出会いは、群馬県みなかみ町にあるラフティングツアー会社「カッパクラブ」にて、リバーガイドとして働いていたときだ。プライベートで遊びに来ていたのか、仕事だったのかは当時も今も記憶にはないが、スタッフが総出で出迎え、一様に笑顔だったのが印象的だった。
それから、しばらくして再会は、2011年2度目となるパタゴニアエクスペディションレース挑戦のときだった。スタートはパタゴニアを代表するトーレス・デル・パイネの麓から、カウボーイたちの馬に先導され、マウンテンバイクで、国立公園内のダートを駆け抜けた。
国立公園内を流れる川を下り、夕暮れの密林へと突入。チームは遅れを取り戻すべく、行く手を遮る深い藪と格闘をする光景を淳さんは一人カメラを構え、必死にチームを追いかけてくれた。だが、一切の光のない暗闇の中、少しずつ淳さんはチームから遅れ、気づくとヘッドライトの光が見えないほど離れてしまった。
チームは少しでも前へと意気込むが・・・。淳さんが足手まといとなってしまっていた。ペースが上がらない状況に「淳さん気にせず急ぎましょう」と田中さんに直訴したが、「淳だけは一人にさせられない。すまない、淳を待ってくれ」とチームメンバーに懇願した。
そのときの記憶は10年以上経った今も残っている。「自分たちはテレビのためにレースをしているわけではない」と憤りは隠せなかった。まだまだ未熟だった。
その次の年は中米コスタリカへ。国全土を使っての、スケールの大きなレースだった。気温差は40度以上、海抜0メートルから4,000mまで、レース中にはニカラグアとパナマ国境や太平洋とカリブ海にも行った。これまで出場したレースの中で最も過酷だった。2012年の世界選手権大会、総距離850km。真っ黒に日焼けし、ドロドロになり、すべてを出し切ってのゴール、しかし、結果はリタイヤだった。一晩かけて最高峰のチリポ山を越えて、先住民の集落へ。現地人の少年ガイドと片言のスペイン語で必死にコミュニケーションをとりながらも、カメラを回す淳さん。途中で少年とはぐれてしまい、再会が難しいとあきらめかけたとき、谷間の道を走る少年を見つけ、感動的な再会する光景を目撃した。そこには言葉の壁など無く、ただただ二人とも大喜びで抱き合っていた。そんな淳さんの姿に僕ら同じように感動していた。
その後も、海外のアドベンチャーレースの撮影では、いつも淳さんの変わらぬ出で立ちと笑顔があった。いつも、少し抜けてしまっている淳さんだったが、姿を見なくともあの特徴的な声が聞こえてくるだけで、「淳さんだ」と笑顔になった。
2014年チーム活動を休止し、日本百名山ひと筆書きの挑戦を始めた。撮影中盤から淳さんは現場へと入り、日本アルプスを40日かけて縦断している間に、10㎏も痩せたという。
「グレトラダイエット成功」などと話のネタにもなっていたようだ。
カメラを構えれば、淳さんの乱れる息づかいが番組の放送でもよく耳にできた。無理もない、撮影スタッフに何の配慮もせずに、好き勝手に挑戦をしてきたのだから、当時は多くの人に今も知ることのない無理や負担をかけていたことだろう。
撮影スタッフの団らんに加わることはなかったが、喋り始めれば、言葉があふれるほどのマシンガントークで場を盛り上げる淳さんの姿は、現場の撮影スタッフにも良い影響を与えていたように思う。
年齢の垣根を越え、どのスタッフからも愛着を抱かせていたはずだろう。挑戦者と同行カメラマン、常に距離を保ち、なれ合いなってはならないと想像以上に気をつけていてくれたことは確かだ。
重箱の隅をつつかなくとも、淳さんの話題はざくざくと出てくる。
足かけ8年もかかった挑戦を雨の日も雪の日も、暑い日も寒い日も、どんな環境下でも、プロカメラマンとして回し続けた淳さんの映像によって、多くの人が感動したことだろう。
淳さん、日高山脈縦走は本当に辛かったですね。お互い良く最後まで耐えましたね。
山頂で、何度も寒さに震えながら、晴れ間を待ちましたね。
猛暑の中、真っ黒に日焼けして、いくつも山を登りましたね。
あのときの落雷、無事生還できて良かったです。
ですが、危険な目に遭わせてごめんなさい。
淳さん、ありがとう。
田中 陽希
youki tanaka